H26年(‘14)1月、初めて石仏城と左近城の探検をした。
その時、当石仏城に登城できること、さらにまたその登城ルート「鉄塔・城跡道」の確認もできた。
今回の探検は、それをより確かなものにすることと、新規ルートの開拓、さらに前回登城できなかった人たちとの登城。この三つが探検の目的であった。
その第一は、前回下りてきた石仏の民家横から登る「鉄塔・城跡道」をより確かなものにすることである。
道は、かなりしっかりと踏まれている。所々に目印のテープが巻いてあり、道に迷うことはない。目指すは石仏山と石仏城との鞍部である。登り出してしばらくすると、第一目標の鉄塔に着いた。
意外と早く着いた感じがする。前回はもっと時間が掛かってこの「鉄塔・城跡道」を下りてきたような気がしたが、少し道に慣れたか、思っていた以上に早くたどり着いた。
鉄塔を半周して藪の中に入って行く。笹が茂り蔓延っているので、入口が見つけ難い。
前回付けた目印のテープが活きている。皆で笹を伐採し入口を広げる。次に来る人たちのためにも、この入口の明示は重要である。
作業を終えて登城口に入って行くと、道は馬の背でかなり踏まれていて歩き易い。
入口だけあまり踏まれていなかったようだ。所々で雑草が足に絡まるが、冬場のためか、思っていたほどには絡まってこない。
やがて第二目標の石仏山と石仏城の鞍部にたどり着く。
前回は、新池方面から登って来たので、この石仏山の頂上を乗り越えてきたが、今回は山の裾野を廻っているので、それほどの苦労もないし、疲労も少ない。そしてまた、前回は石仏山の頂上付近が城跡と勘違いしていたので、ここで地形の確認など、時間を浪費してしまった。
鞍部で小休止後、道を左に採り登っていく。
相変わらず、雑草との戦いである。所々で前回付けた目印のテープに出会う。前回は帰り道の確認のためにも、目印のテープを多く巻いたが、今回も数多くテープを巻いて行く。しかし今回テープを巻いているのは、この城跡に登ってくる人たちが道に迷わないようにとの気持ちからである。
帰りは、惣代(そしろ)の棚田の方に下って行きたいので、脇道がないかを確認をしながら歩いているが、そのような道はなさそうである。
やがて段々に削平された所に出てきた。この上が曲輪のようである。そしてこのような曲輪がこれからも数段続いていくと予想される。
さらに登って行くと、かなり大きな広場に出た。これが一番大きい曲輪である。この曲輪を左に見ながら、なおも進んでいくと、やがて眼前に小山がそそり立っている。(H26・2・4 探検)
横山 豊
奥河内 石仏城 探検記(その1)登城道の探索
奥河内 石仏城 探検記(その2)主郭と左近城の探索
奥河内 石仏城 探検記(その3)新登城ルートの開拓
奥河内 石仏城 探検記(その4)主郭の構造
奥河内 石仏城 探検記(その5)登城ルートの発見